「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこ先生が8月15日、乳がんのため53歳という若さでご逝去されました。
親近者など極一部の関係者以外は一切知らされていなかった乳がんとさくらももこ先生は10年近く向き合っていたと報じられています。
今回は乳がん発覚時の状況とさくらももこ先生の心境を考えていました。
スポンサーリンク
「ちびまる子ちゃん」の原作者であり、幅広い執筆活動の他、多方面でご活躍されました、さくらももこさんが2018年8月15日ご逝去されました。
生前のご貢献に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。2018年8月27日
日本アニメーション株式会社— ちびまる子ちゃん【公式】 (@tweet_maruko) 2018年8月27日
乳がん発覚は東日本大震災直前?
ネットで報じられたさくらももこ先生の乳がんの発覚時期は亡くなる10年近く前。
「さくらさんの乳がんの闘病はもう10年近くになるはずです。40代半ばでのがん発覚後も治療を続けながら仕事のペースは落ちず、以前と変わらず穏やかな笑いのある漫画を描き続けていました。しかし、近しい人以外にはがん闘病のことは一切明かさず、病気と向き合っていました。感性の塊のような人なので、孤独の中にさまざまな葛藤があったと思います」(さくらさんの知人)
(https://www.news-postseven.com/archives/20180830_750169.htmlより引用)
病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。
(https://www.news-postseven.com/archives/20180830_750169.htmlより引用)
前述の4コマ漫画は中日新聞に掲載されたもののようです。
それまで社会問題については「多くの方がそれぞれ意見をお持ちだと思うので」と、作品には反映しない方針でいたが、同月十八日には、被災者へのメッセージを込めた漫画を発表。まる子が、涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容だった。
(中日新聞8月28日朝刊より引用)
病が発覚したのは折しも日本中を震撼させた東日本大震災(2011年3月11日)の直前だったそうです。
東日本大震災は単に「地震」、「津波」、「原発」というものの恐怖にとどまらず、ある日突然身内やお隣に住んでいた方がいなくなってしまうという「死」や「別れ」の恐怖に対しても考えさせられる出来事でした。
社会問題に関して1歩退いていたさくら先生ですが、この時ばかりは少し事情が違ったようです。
《深い悲しみがまとめて湧いてきた。今、目の前にいる大切な人達とも、いつの日かを境に二度と会えなくなるのだと思うと、悲しすぎると思い、毎晩布団の中でむせび泣く日が続いた。むせび泣きは、一年以上続いていたように思う。》(『おんぶにだっこ』小学館刊)
(https://www.news-postseven.com/archives/20180830_750169.htmlより引用)
自然災害や原発の怖さもさることながら、闘病中のさくら先生にとっては「死」や「別れ」に対しての方が強く恐怖を感じ取られたのではないでしょうか。
なぜなら、「死」や「別れ」は病気によってももたらされるものだから。
4コマ漫画に込めた想いは?
ここからは勝手な予想です。
掲載された4コマ漫画を見直したとき、個人的にこんなことを考えました。
被災者に対するメッセージとしては、
「どんなに寒い時期(困難な時期)があっても、頑張ればきっと大丈夫!」
ということなのでしょうが、もしこのメッセージを当時のさくらももこ先生の状況(闘病中)から考えてご自身に対して贈ったメッセージならば、
「どんなに寒い時期(困難な治療期間)があっても、頑張れば大丈夫(元気になれる)!」
と解釈できるのではないか、と。
この4コマ漫画は東日本大震災の被災者だけでなく、闘病中のご自身に対してのエールだったのかもしれませんね。
まとめ
いかがでしたか。
個人的な感想ですが、さくらももこ先生という方は本当の強さをお持ちの方だなあと思うのです。
闘病中にもかかわらず、他人の前では明るく朗らかな雰囲気を壊さず、気配りができる人はそうはいません。
ご冥福はもちろんお祈りいたしますが、やっぱり思ってしまいますね。
「早すぎますよ、先生!」って。
スポンサーリンク
[…] さくら先生も2007年から始まった4コマ漫画連載中にはご自身が乳がんを患っていることをご存知でした。 そういう観点から、この部分は桑田さんにエールを送っているようにも感じ取れ […]
[…] […]